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カンボジアに何しに行くのか?その1

カンボジアに何しに行くのか?

元宝塚女優の津田あけみママが営む日本料理屋さんを引き継ぐためにいきます。

70過ぎた元気ママのあけみさん。年も年なので、お店を辞めてバリ島に転居しようしていた矢先。引き継ぐ人がいるのなら、引き継ぎたいという話の流れで、私が引き継ぐことになりました。

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== 経緯 ==

★大前提として、私の志事は、「100年後の未来に生きる世界中の人たちが、自分の意思で生きる選択をできる未来にすることです。そのために、今をどのように選択し何を行うか?といのが、私の発想の原点です。

ここに至る経緯を説明するために、私が辿ってきたここ4年の流れについてまとめました。この間の出来事は、すべて上記の大前提を元に選択してきた事柄です。

■2010年5月~11月 ネパール在住
「世界を変えた100人の日本人 農業技術者 近藤亨」率いるネパール国ムスタン群の農業支援NGOに在籍。国を超えて未開の地で現地のスタッフと共に、汗水流すのが日々でした。ここに飛び込んだ理由は、現地に溶け込み人材育成から技術伝承まで行う近藤亨氏の生き方を学びに行きました。

■2010年12月~2013年9月 NPO法人住民安全ネットワークジャパン
情報提供によって安心・安全な街を実現するのがこのNPO法人の理念。東日本大震災の災害対応を経験し、災害時における情報共有力の必要性を感じ、高齢者向けパソコン教室事業を展開。ここで、NPOやNGOについて学びました。

■2011年3月~ 長岡市民放射線測定会
東日本大震災で長岡市に避難してきた南相馬市からの避難者支援としてスタート。上記NPO法人で培った経験を実践する場でした。事業提案、助成金、会の運営などの多くを実施を通して学びました。

■2013年7月~2014年4月 SideWalker
21.5世紀に向けたイノベーション開発及び、新しい時代の働き方の創造がテーマのフューチャーセンター長岡。このセッションの中から誕生したのが、「街中空き店舗活用シェアハウスプロジェクト」。その実証店舗第1号がSideWalker。最初から1年という予定だったので、1年弱で閉店しましたが、今ある人脈の基盤はここにあります。

■2013年10月~ 蕎麦大学
SideWalkerと同じくフューチャーセンター長岡から始まったプロジェクト。6時産業を立ち上げよう!という発想を元に、長岡に蕎麦打ちを教える蕎麦塾をつくり、蕎麦の消費環境を作ることで中山間地域で積極的な蕎麦づくりをしよう!と考えたもの。伝説の蕎麦仙人:弥三郎の佐藤さんとの出会いで、方向性が大きく飛躍。蕎麦大学がカンボジア進出の大きな切っ掛けとりました。これについては、後ほど、詳細を書きます。

■2013年11月~ 上川西パソコンサークル
NPO法人住民安全ネットワークジャパンから去ったのちに、展開した事業。取り残された感のある上川西パソコン教室の面々と共に、「災害時の情報共有力を身につけながら、日々の関わり合いの中で共助を育む!」をテーマに展開。今のまま、長岡市在住ならば、上川西コミセンで展開している今の取り組みを拡大し、別棟でNPO活動のためのギークハウスに発展させようと準備をしていた。結論としては、カンボジア行きでギークハウス構想はなくなってしまったのだが、上川西パソコンサークルは、面々有志で今後も継続する。

■2013年11月~2014年9月 ながおか恋チュンダンサーズ
SideWalkerの中で生まれたプロジェクト。災害時の自助共助を遊びながら身に着けることが目的のプロジェクト。2014年長岡まつり前夜祭では、市民参加400人でのダンスを実現。

■2014年3月~ おたすけMAKOパソコン相談室
多くの方からパソコンの調子が悪くなったと連絡をいただくこと多数。なかなか、一つ一つに対応できないということで、週1回相談室を設けたのが切っ掛け。


【小川誠@近況報告】カンボジアに何しに行くのか?その2 に続く

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