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【残しておきたい対話】お釈迦様は女性だったんじゃないかなぁ。

「八敬法を遵守する」なんて仏教用語がある。これの文言によって仏教は、女性を差別する宗教なんて言われる。それほど一生懸命仏教について勉強したことのないインチキなブッティスト(仏教徒)のMAKOTOです。

堺正章さんの西遊記を鮮明に覚えている世代として、【第3話 釈迦の手のひら】は、鮮明に記憶に残る名シーン。

■20代の頃
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私は、心がポッコリ折れているとき、出雲崎の海をいつも一人で眺めていた。そして、こんなことを考えていた。

佐渡まで50キロ。対岸のウラジオストックまで1000キロ弱。佐渡までなら、私の力でも手漕ぎボートでいけるかも。地球の一周は4万6000キロ。佐渡までの920倍。なんて地球は狭いんだろう。1000キロも離れていない海の向こうには、全然違う文化の人が住んでいる。

そんな風に思っていると、海と空が私を癒してくれた。

ひとすくいの水に色はない。
空気にだって色はない。

それでも、海も空も青い。
なんて広くて大きいんだろう。

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たまに海や空を見ると今でも思う。
私にとって、海はお母さん。空はお父さん。

■19歳で上京してからの20年間
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ほとんどの時間、お母さんとお父さんに背を向けて歩いていた。その事に山ほどの後悔がある。

パソコンサークルで知り合った先輩方々に「お父さんお母さんは反対しなかったの?」と聞かれれば、「反対してもどうせ聞く耳もたないだろう!って諦められている」と答える。そんなお母さんとお父さんに対する懺悔の気持ちが表れたかもしれない文章がある。

涙の友からの贈り物より
母に、私(母:静枝)の志事は何?と聞かれたことがある。
決まっているじゃないか。小川誠の母である。それだけはこの世で貴女だけに与えられた志事でしょ。私には、貴女が小川誠の母であることに誇りを持てるように生きるという志事があるのだから。
こんな言い訳なのか、ただの強がりなのか、くどくど文書を書いていたときのこと。

カンボジアに行く目的を読んだ友達(女子ママ)から届いたメッセージのやり取り。
▼友達(女子ママ)シゴト・・・長期計画にだね。まこっちゃんとみていると、気持ちがあせる。自分と比べてしまう。。。すごいなぁって思ってしまうんだけど、母のシゴトの話。(・_・、)自身が肯定された感じ。まだまだ、バタバタでいっぱいいっぱいでどうなるかわかんないけど、、、ゆっくりゆっくり進んでいくよ。カンボジア行ったら、いつもどおりの笑顔でよろしく。。。会いに行きたいわ。
▽MAKOTO私、思うんだぁ。自分の母の偉大さにかなう男子なんているわけないと思う。でも、女子は違う。自分自身が母になることで、自分の母を越えれちゃう。世の中、偉大な母達の集合体で回っているのだから、男はその手のひらで走り回る子犬程度の生き物だて(^o^)
▼友達(女子ママ)ママじゃない人に言われると本当に嬉しいわ。ぜひ、発信してあげて。負けすに私も頑張るさ。
改めて、このやり取りを文書に残す今。私思うんだぁ。私の周りには、

  • 望んでもも母になれなかった女性
  • 母になることを望まなかった女性
  • 望んでいなくても母になった女性
  • 望んで母になった女性
  • 母になりたかった中性

どれも素敵な生き方じゃないかなぁ。人が人になるずっと前から、多くの生き物は女性から生まれてきたじゃん。その中には、きっと悩みながらも母にならない選択をしたものもたくさんあったんじゃないかなぁ。

21世紀も四半世紀過ぎた今。大多数の女性が、当たり前のように母となったとしても、違う生き方を歩く女性は母になった女性に負けないくらい輝いて素敵だと思う。

そんなこを思うと、なぜかお釈迦様の手のひらで翻弄される孫悟空の姿が、現代を生きる男性とダブるんだよねぇ。だからかなぁ。私は、お釈迦様は女性なんだと思う。

男性も女性も、持って生まれた役目が違う。それは、母になるだけのことじゃないし、父になるだけのことでもないと、思える時代に生きていることに幸せを感じるてぇ。

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私なんて、性別すらどうでもよい生き方しているから、お釈迦様以上だなぁ(笑)

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