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95%の生活難民予備軍



ながおか史遊会の湯本くん(30歳)とガスト川崎店で毒舌お茶会。「同世代の若者(30歳が若者かどうかは疑問だが)は、自分の生活がいっぱいいっぱいで政治に目を向けてられない。選挙について話をしても、全く興味を示さないばかりか、選挙に行く意志もない。面倒くさいの一言で片付けられる。」と訴えてきた。

湯本くんと私は、11月の長岡市長選挙に挑む藤井盛光の応援隊。そんな背景の中の話だった。選挙権は、そもそも義務ではなく権利はず。選挙に行かないと選択は、日本国民である権利を放棄しているのと等しい。

そんな話から始まった毒舌お茶会。互いに、言いたいことが溜まっていた中、話題は転がり別の話題に。

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2週間ほど前の話。身近な仲間が妊娠した。妊娠初期ということもあり、共に働いていた職場を長期離脱するといったことになった。少子化が叫ばれて中、妊娠適齢期を迎える私の身近な友達にはあまりご縁がなかった話題。イメージはしていたが、妊娠を理由に職場を急に離れるいう現実に、思うところがあった。

たまたま、見ていたWebニュースに「あなたはどれ? 職場の女性に「2・6・2の法則」」という記事があった。ビジネスの中でたまに聞く話。決して珍しい視点でもない。それを職場における女性の働き方にあてはめているだけのこと。

この2つのことから。現代社会における「女性と仕事」の関係性には、無理があるのではないだろうかと感じた。現代社会における女性の働き方とは、男性社会の仕事のルールに女性を当ているだけである。

男性には男性の働き方やリズムがある。女性には女性の働き方やリズムがある。互いに持ち味と住み分けが成り立ってこそ、男女平等なのではないだろうか。

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「2・6・2の法則」とは男女に関係なく

2割のチャレンジャー
6割の寄りかかり組
2割の無関心組

という内容。

この割合は、急速に歪な数になりつつあるような気がする。つまり、「1:8:1」といった感じだぁ。変化求めず、流れの中で自己の意見を持たない人が多くなってきた気がする。価値観の変化は時代の必然。悲観するような内容じゃない。しかし、この価値観の変化がもたらす経済の影響は無視できない。

社会における消費者の主軸は、子育て世代である。この「子育て世代が減る=税収が減る」といってもいいだろう。価値観の変化、無理のある生活、不安定な仕事。男女に限らず様々な要素が絡み合い少子化は加速し続ける。

さらに、積極的な消費をしないライフスタイルが、新たな革新的な活動を受け入れ辛くするかもしれない。同時に、市場の拡大は鈍化し、貧富の格差は想像を遥かに超えるものになるかもしれない。

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今年の初夏のこと。長岡の市民発信による本が話題になった。


地方創生という言葉が飛び交うなか、少子化という呪縛を背負った現在日本はすでに「消滅の危機」である。この本は、社会を牽引してきたイノベーターによる35年後に向けた知の集結である。

言い換えるのなら、今年生まれた子どもたちが社会の中核で活躍する年齢になる頃。地域経済は崩壊し、地域に生き続けることすら困難な状況になっているかもしれない。そんな未来しないために、現在に生きる長岡人の知を集結したというのがこの本の本質なのである。

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話は、長岡市長選に戻る。権利といっても選挙に行くことは、強制ではない。国勢選挙や県の区長選を軽視するわけではないが、市長選とは4年1度。身近な環境が、未来につながる環境にあるのかどうかを選択する場である。

つまり、森民夫市長が頑張ってきた16年の実績を振り返ったとき、彼が再選することが未来に生きる子どもたちに消滅しない街を残してあげれるかどうかという判断なのである。

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これまでの統計から、少子化、人口削減に何かしらの速攻政策を行わなければ、地域は消滅する。消滅するということは、一握りの富を得る人と、生きることすらままならない人との二極化が進み、この地域で生きることが難しくなるということである。

選挙がどのような結果になるか判らない。しかし、選挙に参加しないということは、「生きることすらままならない未来」を自分自身で選択するということである。

仮に格差が、富を得る(普通に生活できる人)人の全体の5%。生きることすらままならない人が残りの95%という未来が訪れたとしたら、選挙を辞退する人は95%の生活難民予備軍である。なぜなら、未来を変化させるかもしれない選挙という選択を拒否したのだから当然である。

11月の市長選の候補者が、何人になろうとも、自分の目や耳で判断し、未来に向けた一票を投じることこが未来に生きる世代に向けた現代日本人の責務である。

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藤井盛光が森市長に挑戦するときいたとき、アホか?と思った。空を飛ぶUFOに水鉄砲で戦うようなものだと比喩したのを覚えている。

このような意見は高齢な方ほど、同意見のようだ。よく聞かれる意見に、「1度では勝てないかもしれないが、2回3回チャレンジし続ければチャンスはある!」と言われる。

高齢な方々は、呑気でいい加減なものだ。仮に3回目の選挙で勝てたとしよう。それは、今から12年後の話しである。

「消滅するかもしれない」現在から12年後。何か大きな変化があったとしても、消滅しない未来につながるとは思えない。現役を退いた方々のこのような意見を聞くたびに、未来に対する無責任さが現在日本を形作った最大の要因なのではないかと思う。

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私の人生のミッションは、「100年後の未来に生きる人が、今より少しでも笑顔で前向に生きることのできるように今できる志事を精一杯行う」である。私が市長選に関わるというとは、結果以上に未来に生きる世代に対する責任だと自覚しているからである。





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