こちらのページから借りたものです。 写真は、中越沖地震のものです。 イメージ写真ってことで許してください。 |
中越大震災から10年。
29歳だった私は、39歳に。
原発定検作業員だった私は、カンボジアのシェムリアップで日本食レストランの店員に。
あれから10年。
あのとき、私は父の車の横に座り、ウトウトしながら長岡市蓮潟の裏通りにいた。父の「地震だ!ハンドルが取られる」の声に驚いて、一瞬の内に現実に引き戻されたのを覚えている。
細かな回想は、さて置き。
あの地震で体験したのは、無力すぎる自分の存在だった。今でも、心に突き刺さる思い。
「あのときは、何もできなかったのか?それとも、何もしなかったのか?」
今から3年7か月前の東日本大震災のとき、10年前の中越大震災の中を復興のために、全力を尽くしてきた人たちの中に私はいた。なんとも、頼もしい人たちだろう。この人たちの中に、自分が存在し、寒さの中凍える被災地の人や知らない土地に連れてこられた避難者のために自分ができる仕事がある。それだけで、誇らしかった。
そして、今。
中越大震災から10年。
「あのときは、何もできなかったのかもしれない。」
今も暗礁の中を遠くの光にすがって泳いているのが現実。10年前と何も変わらない。
ただ、少し違うといえば、
今、置かれている立場を客観的に見ることができるようになったくらいかなぁ。
10年で長岡市は大きく変わったと。今も変わろうともがいている。
災害大国日本。残念ながらいつの時代でも、中越大震災を思い出すような災害は起こる。まだ、現代の日本が経験したことのない災害なんてたくさんあると思う。どのような状況下であっても、笑顔になれるのが、人間じゃないのかなぁ。