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ここは島だった



It was an island here.

ここは島だった。



佐渡ヶ島は生きている。
なんだろう。ものすごく時間を感じるところだった。


佐渡ヶ島から戻って10日がたった。
改めて、佐渡で感じたうごめく佐渡時間について、文章を残したい。


佐渡に限ることではないが、街には街の時間がある。
それが、国という単位で感じることもあれば、商店街という単位で感じることもある。






第一歩を踏みしめた瞬間。
私の五感には、不思議な浮遊感を感じた。

浮島に立ち寄った旅人のような感覚だ。
残念ながら私のこれまでの経験の中で、本物の浮島にのったことがあるわけではない。

しかし、何か
自分の意志とは関係なく動く、フワフワした感覚の動く大地を感じた。

この感覚は、佐渡を離れ、本土の土を踏みしめた瞬間。
単なる感覚から実感に変わる。








失われた時間を「みる」




"Let's see" the lost time.
失われた時間を「みる」。



この文章を書こうとした日から、すでに1か月以上経過している。
それでも、この写真が私をあの日のあの瞬間に呼び戻してくれた。

この写真は、あの日の一瞬をとらえたものである。
それも、4,000分の1秒という、およそ人の目ではとらえられない瞬間の写真である。


そして、この写真は
車の助手席に座る私が撮影した写真である。






動くものと、止まっているものでは、
進む時間の速さが違う。。


~~~~

私は、立ち止まって感じた。
時間という概念は、普遍的な自然の摂理とは違うのではないだろうかぁ。


私は、これまで多くの時間を車の運転に費やしてきた。
車を運転している時間。私の意識は1トン以上の鉄の塊を「動く、曲がる、止まる」ために集中し、私の目と感性はただただ無駄に意識を拡散している。

以前からこの無駄な時間に関する、心の渇きを感じていた。


  • 私は、効率、スピード、費用体効果など、結果に縛られすぎてはいないだろうか?
  • 私は、喜びや感動、心の充足感ですから他人任せにしてはいないだろうか?














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