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VOICE:チラシ作成@株式会社野村防災



Testimonials to the Work No.001

ITNAが取り組んだ志事と声


株式会社野村防災の物語


涙をぬぐって、明日を見つづけた兄弟のチャレンジ。。


私が野村防災の佑太・卓也の二人にあったのは、長岡市で起こった乙吉の少し前だった。最初から不思議で不思議でしかたない感じの二人。話を聞くと、新宿の歌舞伎町でホストをしていたという。確かに、サル顔ファンにはたまらない(当時)。ちょっと、場違いな感じのスーツを着たイケメンから出てきた名刺が「野村防災」。このときの違和感を例えるなら「ショートケーキを食べたら塩辛かった!」といった感じ。

そもそも、私は「イケメン」「美女」「才女」「看護師」が苦手。悪気などないが、思わず心に結界を張った記憶がある。それでも、どんなイケメンでも毎日みていれば慣れるというもの。次第に、いろいろな話をする中で、彼らがなぜホストから防災会社に転身したのかわかってきた。


中越地震と涙の決意


2004年(平成16年)10月23日に起こった中越地震。彼らの実家がある地域でも大きな揺れが計測された。その避難生活の中、地元の警察官を悩まし続けた野村兄弟の理解者であり、持病をわずらっていた祖父がなくなった。それは、薬を飲むためのわずかばかりの水が手に入らなかったために悲劇だった。彼らの背中を支え続けてきてくれた祖父の死。彼の悲しみははかりしれない。

そのときに、彼らは生まれ変わったのかもしれない。その後、祖父を死においやった地震で涙を流す人を一人でも減らすために「防災会社」を起業するための準備金を作るため、東京で必死に働いた。そして、起こった東日本大震災。このころになると、二人の気持ちは夜の世界の道に偏りかけていた。しかし、未曽有の大災害に再び奮起。それまで培った人脈と経験をもとに、株式会社野村防災を設立。長岡市の民間防災拠点、中越防災安全推進機構とともに、日夜休みなく災害での悲しみの連鎖を少しでも減らすために様々な活動を行っている。


防災の最前線は学校教育の中にある


思い出してほしい。どの世代も小学校や中学校で避難訓練をした記憶はあることだろう。実は、防災の最前線は常に学校教育の中にある。東日本大震災で起こった「釜石の奇跡)小中学生の生存率99.8%。想定外を生き抜く力(詳細)」は、奇跡ではなく学校における防災教育の成果である。

私のような若輩者が書くまでもなく、人生は常に想定外の現実に対する適応力によってのみ切り開かれる。それは、困難な状況の中でこそ試されるものでり、熊本地震の被害地でも一番最初に立ち上がったのは多くの中学生だったことは記憶に新しい。

しかし、学校における防災教育は困難を極める。なぜなら、現実に起こっていない災害をイメージしてシミュレーションするということに対しての対応方法を伝える。それは、様々な雑務に追われる教師にとっても、子どもたちにとっても難しい課題である。




困っていませんか?防災教育.......


今回、ITNAが携わったWorkは、学校に向けた防災教育に活用するグッツ販売のためのチラシ制作である。詳細は裏面にまとめて記載されているが、お見せできないm(__)m。ITNAでは、チラシ、POP、リーフレット、Web、プレゼン資料などの制作物を3万円で行っている。今回のチラシも3万円で受注した。

  • デザイン料
  • コピーライト料
  • コンサル料

各1万円というところだ。もっとわかりやすく書くと、だいたい1日で終わるくらいの仕事について日給3万円として考えている。ソーシャル・ビジネス、ソーシャル・イノベーション、マイクロ・ビジネス向けの仕事としては、少し高めかもしれない。しかし、本気に結果を出したいところと本気で付き合わないことには、本気の仕事はできない。

今回は、野村防災から受注を受けた段階で「学校に向けて提案するチラシ」ということしか決まっていなかった。つまり、メインのキーワードである「防災教育」というのは打ち合わせを重ねる中で、構築したものだ。今回、チラシの制作に対して重視したのは次の通り。

  • 決定権は誰にある
  • 誰のためのグッツ
  • 何に使うためのグッツ
  • 学校の現場における防災教育の問題点
  • 配布方法

である。

第一稿しては、とりあえずの完成をみた。しかし、実際の配布作業を経て再び修正を行う予定である。チラシ作りに限らず、マーケティングに活用する創作物は、見た目のデザインが優先ではない。「誰に」「何を」「伝える」が明確でないとただのお絵かきになってしまう。そんなことを今回の仕事で学んだ。

共に考え、形を作っていく作業は何をやっても楽しい。


VOICE : 野村卓也 さん


野村さんに作文していただきました。忙しいのに申し訳ないです。

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当社でもこれまでにチラシを独自で制作したことはあります。しかし、今回まこっちゃんにお願いした背景には、3つの理由がありました。

  • 時間の節約
  • 経費の節約
  • 新たな視点

◆時間の節約
このチラシは、当初特別急ぎのものではありませんでした。しかし、状況は熊本地震の発生とともに緊急を要するものに変化したのです。これまでの、学校より防災教育に使うグッツの問い合わせは年数回ほどでした。それが熊本地震の発生とともに問合せの数が一気に増えたのです。私どもの防災教育の充実という使命があります。そこで、ニーズが高まっているタイミングを逃さないためにチラシの作成を急いだのです。

◆経費の節約
自社のスタッフであろうと、自分自身であろうと誰かが動くということは、人件費がかかるということです。当社は防災会社です。チラシを作るのは専門外です。そこに人件費をかけるのなら、ほかにやるべき業務はたくさんあります。そういう意味では、専門性のあるものを外部に委託するのは、仕事の効率化につながったと思います。

◆新たな視点
正直なところ、「見栄えの良いチラシができればよい」というのが当初の考えでした。しかし、打ち合わせを繰り返すたびに、これまで考えつきもしなかった視点から様々な提案をいただきました。まさに、異文化交流のようなものです。結果的に、このチラシの目指している事業に厚みが増し、不透明なところが明確になりました。

最後に
熊本地震被災地との往復の中、当社の都合に合わせて時間を調整していただきながら、何度も何度もミーティングを繰り返しながら、そのたびに新たな要素を付け加えてより良いものを作る努力をしていただいて大変満足しています。




参考

乙吉水害の記録写真(Street Photographer MAKOTO


ながおかぜぇご文化会議「歴史から学ぶ地域 活性化」@ながおか史遊会



Species of Social Innovation No.002

ITNAが感じたソーシャルイノベーションの種


歴史から学ぶ地域 活性化


ながおか史遊会塾頭湯本泰隆の着眼点は面白い


私が顧問を務める「ながおか史遊会」。実は私の一声がきっかけではじまったらしい(実は覚えてない)。塾頭の湯本泰隆いわく、「細かいことなんてどうでもいいじゃん。とりあえず、やってみれば!」の一言でスイッチが入ったらしい。


日本に革新をもたらすかもしれない変人 湯本泰隆

ながおか史遊会とは(コライトより転載)


ながおか史遊会は、平成26年にできたばかりの若い歴史系文化サークル。0代~70代の様々な分野で活躍されている方々が定期的に集まり、長岡の歴史・風土・言語などについて学んでいます。主な活動内容は、2ヶ月に1度の「ぜぇご文化会議(学習会)」や、お茶とお菓子を食べながら歴史や郷土史について気軽に語り合う「ながおか歴史カフェ」、年に1~2回程度の小旅行(フィールドトリップ)など→と紹介してある。

顧問である私流にながおか史遊会とは


歴史とは、教科書に載るようなものだけが歴史ではない。過去に存在するすべての時間は、歴史である。また、人が関わるすべての事柄も歴史である。そして、歴史の積み重ねが今という一瞬を作り上げる道しるべである。つまり、現在に起こる様々な事柄は歴史の積み重ねでできた必然である。

塾頭湯本泰隆率いるながおか史遊会とは、現在から未来を予測するために、過去の歴史を学ぶことを主な目的としている会である。

歴史に限らず、学ぶとは本来に人間の快楽の一つである。楽しく歴史を遊び倒す中から、次世代の市民歴史研究家の育成をすることが、史遊会最大のMISSIONである。

2016年6月のぜぇご文化会議「歴史から学ぶ地域活性化」


ソーシャルビジネス支援を志事の中心とする私にとって、なんとも心揺さぶられる勉強会のタイトルではないか。当日の参加を楽しみししていたのだが、残念ながら高寺の姫とのデートでつぶれてしまった。

内容について、塾頭自らシェアしてもらったので、是非一部をブログに披露したい。

まずは、テーマも面白いのだけど、講師の先生の選出も面白い。
今回の講師は、NPO法人笹団子研究会の小林喜一郎先生。私も一度お会いしたことがあるのだが、笹団子の起源を特定するとともに、新潟の食文化の新たな可能性として、笹団子の販路拡大を目的としているNPO法人の代表。その小林さんが「歴史から学ぶ地域活性化」というテーマで講師をする。どこでどうそういう話になったのかわからないけど、プロデューサー湯本泰隆。面白いw。

人との出会いを自分のペースの中で活かしていくのが抜群にうまい。うらやましい。



さて、本題。

  1. 地域活性化を担うオリジナリティーは歴史に勝るものなし
  2. おもてなし度が問われる名目観光客数と実質観光客数
  3. 観光の三原則

以上が、今回の主な内容。
人様の資料を勝手に転載するわけにもいかないので、概要だけ説明する。

地域活性化を担うオリジナリティは歴史に勝るものなし

地域活性化とは、人が集うことが絶対条件。人が集うとは、2パターンの人が存在する。「定住人口」と「交流人口」である。定住人口は増やすことはおろか減る一方。交流人口は施策次第で増加が見込める。つまり、観光者を主とする交流人口をふたすための施策が地域活性化への道である。

では、観光客が地域独自のオリジナリティーを感じるのは何か?というと、歴史である。さらに、いかなる地域においても歴史のない地域はない。つまり、歴史は地域活性化の原点なのである。

おもてなし度が問われる名目観光客数と実質観光客数

10000人の観光客があるまるAイベントと5000人の観光客があつまるBイベントをイメージしてほしい。共にスタッフの人数は同数の100人とする。つまり、100人のスタッフで10000人を接客するAイベントと100人のスタッフで5000人を接客するBイベントということである。

Bイベントの場合は、スタッフ人数に余裕があり十分な接客をすることができたことで観光客の評判も抜群。それに対し、Aイベントはスタッフ人数に余裕がなくおざなりな接客しかできなかったことで観光客の評判はいまいちだった。つまり、観光客の満足度に差が出る結果となる。

Bイベントのお客様満足度が100%であると仮定した場合。Aイベントの満足度は25%となる。つまり、10000人動員できても満足してくらた観光客は2500人だったのに対し、5000人動員できたBイベントは観光客全員が満足して帰ってくれたことになる。

Aイベントの10000人が名目観光客数で、2500人が実質観光客数である。もちろん、実質観光客数が多い方がリピーターが多いということになる。

観光の三原則

「History(歴史)」「Story(物語)」「Street(通り)」。
最近かかわった火焔土器の里のプレゼン資料をこの三原則に当てはまるとこのようになる。

「History(歴史)」
縄文中期の信濃川文化圏を中心とした火炎土器文化

「Story(物語)」
昭和11年(1936)12月31日に近藤篤三郎氏によって発見され、現在にいたる経緯
「Street(通り)」
歩いて散策できる道(火焔土器の里にはありません)

以上3つが必要ということである。
特筆するは、3つ目の「Street(通り)」。多くの人が???と思うのかもしれない。自分自身が観光にいったときのことを思い出すとその真意を感じやすい。また、街全体が観光都市となっている地域と街の中に観光地がある地域が抱える問題も見え隠れする。

「Street(通り)」は交流人口を増やす切り札なのではないだろうか


長岡市の「千秋が原ふるさとの森」を例に考えてみたい。


長岡市の真ん中を流れる信濃川の川西にある公園である。



ここには、「Street(通り)」はあるが、「History(歴史)」「Story(物語)」がない。もともとは、土砂の採掘場があったところ。そこを埋め立てて、産業文化ホールハイブ長岡、県立美術館、リリックホールなど文化施設を建てた公園。近くに病院があることで音を出すことのできない音楽堂など、見事な「箱もの行政博物館」が形成されている。

しかし、「History(歴史)」「Story(物語)」はない。作ろと思えばつくることができる。なぜなら、「History(歴史)」「Story(物語)」のない場所などあるわけがないのだから。

例えば、
川西のこの地域。1954年(昭和29年)2月1日 古志郡上川西村という地域だった。さらに、信濃川流域とは、毎年流れが変わるほど広大な河川敷が広がっていたことがわかっている。それが、現代の形になっていく経緯追い求めるだけで「History(歴史)」「Story(物語)」はできてしう。

つまり、「千秋が原ふるさとの森」は信濃川流域の歴史と文化を網羅することで、観光の三原則を達成できる地域といえる。


最後に

講義の中では、長岡市は「History(歴史)」「Story(物語)」も新潟県のほかの地域にまねできないほどのポテンシャルを持っていながら、観光都市として発展できない要因をこのように説明している。

  • 名目観光客数に固執し、実質観光客数を軽視している。
  • イベント以外の観光資源を軽視している。
  • Streetの概念がおろそかになっている。

観光とは、人が新たなことを学ぶ好奇心の塊であることの裏付け産業なのかもしれない。


出展:ジェトロより

これは、世界全体の予測だがBOPピラミッドの今後の予測である。果たして日本はどんな状態なのだろうか?世代間格差、地域格差、職業別格差などなど、一生懸命に生きていても格差の中で苦しんでいる人も多いと思われる。

ITNAは、社会問題を解決することを第一の目的とするソーシャルビジネス支援をする会社。つまり、社会問題の先にある弱者目線が会社の基盤である。日本におけるBOP層は、見えづらい。そこに向けたソーシャルビジネスの種として、観光という切り口があるかもしれない。

※ 新潟県長岡市の話題が中心で申し訳ないです。

参考
起業準備中@縄文野菜工房:火焔土器の里からのチャレンジ
http://www.itna.xyz/2016/06/blog-post_15.html

信濃川文化圏構想


Species of Social Innovation No.001

ITNAが感じたソーシャルイノベーションの種

信濃川文化圏構想


決して新たらしい発想ではない。


日本一長い河川である信濃川を中心とした先進的な取り組みは、突然思いついたような発想ではない。これまでにも、多くの取り組みがされている。

私の記憶に残るものとして。

  • しなのがわ音楽祭
  • 水と土の芸術祭

今年の話題としては、日本遺産の認定された「なんだ、コレは!」信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化だろう。


三条市のホームページに日本遺産申請に際しのストーリーが掲載されていた。

日本一の大河・信濃川の流域は、8000年前に気候が変わり、世界有数の雪国となった。 この雪国から5000年前に誕生した「火焔型土器」は大仰な4つの突起があり、縄文土器を代表するものである。 
火焔型土器の芸術性を発見した岡本太郎は、この土器を見て「なんだ、コレは!」と叫んだという。 
火焔型土器を作った人々のムラは信濃川流域を中心としてあり、その規模と密集度は日本有数である。このムラの跡に佇めば、5000年前と変わらぬ独特の景観を追体験できる。 また、山・川・海の幸とその加工・保存の技術、アンギン、火焔型土器の技を継承するようなモノづくりなど、信濃川流域には縄文時代に起源をもつ文化が息づいている。火焔型土器は日本文化の源流であり、浮世絵、歌舞伎と並ぶ日本文化そのものなのである。

これらに長くかかわってきた方々によって、信濃川文化圏。そんなものは昔からあるんだよ!という内容なのかもしれない。また、長野から新潟まで千曲川を入れて367 kmの河川流域の地域それぞれに様々な取り組みはされているのかもしれない。

しかし、それぞれの枠組みの中で完結しているのではないだろうか?取得権益渦巻く分野で、もっと大枠で世界にアピールできる体制を整えるのは、夢物語なのかもしれない。

日本の観光産業は、もっと大きな枠組みで未来を見据えた体制をつくらなけれならないのではないだろうか。

※ 取得権益とは
既得権益がなぜ問題かというと、社会の中で富(資本)は、集団や個人の実力や正確な評価に対して適切に分配されなければならないが、一度既得権益が生まれると、既得権益そのものが、さらなる富を獲得する力となるため、既得権益の有無や大小だけで富の分配が大きくなされてしまい、結果として実力や正確な評価に対する富の分配が行われなくなるところにある。



信濃川文化圏構想とは


信濃川文化圏構想とは、現代アートの中から発せられた発想である。妄想を100年続けての何も変わらない。必要なのは発想を具現化させるための第一歩なのではないだろうか?


旭町のガード近くの小林不動産壁面の朱雀画
信濃川文化圏という言葉は、写真の絵を描いた現代アーティスであり、ギャラリーカフェ沙蔵のオーナーである松本泰典氏とのお茶のみ話から広がった造語である。

ITNAが感じたソーシャルイノベーションの種」をまとめ」というる上で、松本さんに「信濃川文化圏」という発想の源をお聞きした。

信濃川文化圏 
インターネットで信濃川文化圏を検索してもヒットしないこの言葉。日本一の山、富士山が、信仰の対象と芸術の源泉として世界文化遺産として登録されるも日本一の川、信濃川は意識に上がらない、その価値を再認識する必要があると考えました。 
世界遺産には、紀伊山地の霊場と参詣道を始め、シルクロード、フィリピンの棚田郡、ミディー運河、ゼメリング鉄道など、景観を評価する以外にその背景を評価して登録されたものも数多くあり、信濃川文化圏と言う視点でみれば世界遺産に登録することが出来るものもあるかもしれません。 
信濃川文化圏に入れることのできる文化とはなにがあるか。 
信濃川水系に属する川は群馬県の中津川、長野県の千曲川、犀川、高瀬川、奈良井川、保高川、新潟県の中津川、清津川、魚野川、破間川、黒俣川、大衡津分水路、仮谷田川、渋海川、五十嵐川、西川、中ノ口川、関谷分水路、小阿賀野川、能代川、通船川、栗ノ木川と言った沢山の川が入り、その河川の周辺に広がる文化と考えれば、長野新潟、一部群馬のかなりの割合の都市が入る事になる。 
また歴史的に考えれば
火炎土器出土の馬高遺跡をはじめとする縄文遺跡群も信濃川の文化圏に多く分布している。川中島の戦いの謙信や信玄の話等、中世の城もまた信濃川流域に存在するものが数多くある、NHKの大河ドラマ天地人の与板、直江兼次も、真田丸の真田幸村も北越戊辰戦争も信濃川文化圏での出来事と言えなくない。その後の東山油田なども入れられるでしょう。 
古来
物流は川を中心に行われ都市も川の周辺に形成されてきたことを考えると、信濃川文化圏と言う視点で文化の発展をとらえると、見えてくるものがある。 
また、
行政の縦割りの垣根により目を付けられてこなかった信濃川、信濃川文化圏と言う考え方で横に貫くことにより新たな発見魅力が生まれ観光の財産となるのではないでしょうか。 
具体的に言えば
信濃川を使った観光、日本一の川であるにもかかわらず川下り、を売りに下物が少ない。長野で新幹線を降りて、船を使って新潟に入り県内を船で観光し新潟市から新幹線で帰るプランなどあっても良いでしょう。 
普段見慣れている信濃川の風景だが、他に誇れる美しさを有していると思いませんか?


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ソーシャルイノベーションの種「信濃川文化圏構想」

多くの人が参画することで実現しるかもしれない大きな構想になればなるほど、その難しさは相対的に増えていきます。

取得権益なんて、容易に想像できる問題の最たるものです。そんな問題を通り越してこの構想を実現することができるとすれば、IoTやICTの技術を使った取り組みなのかもしれません。

起業準備中@縄文野菜工房:火焔土器の里からのチャレンジ


Social Business News No.003

ITNAがサポートしているソーシャルビジネスのニュースを掲載しています。

起業準備中@縄文野菜工房


火焔土器の里からのチャレンジ


昭和32年に長岡市に合併した新潟県長岡市関原地域。この地域は元来地盤の固い地域であり、上質な地下水が採取できることで有名な地域である。そして、隣接する小さな町、高寺町。その昔、高寺城があったというところに「縄文野菜工房」という農園がある。

この高寺町のすぐそばに「火焔土器の里(馬高遺跡)」がある。今回は、この地域の元気なお姉さま方の人生初プレゼンテーションの準備が私の今回のMISSIONです。

「火焔土器の里で採れた縄文野菜を県内の大手有名居酒屋グループが主催する1次産業事業者向けのコンペに出展しプレゼンをする。そのための資料を作っるというもの。

高寺町をGoogleMapで探してみた。
ある日の長岡。
NSGグループが運営し、新潟県長岡市から委託事業として展開しているながおか起業支援センター主催の「社会起業家塾の講演会」に出席した時の話。

目が合ったお姉さんがいた。
「あああああっ、小川さんだよねぇ!会いたかったの?」と逆ナンパ!(そのとき、実は顔に見覚えがありながらどちらでお会いしたかたか全く思い出せず、右往左往)→2度目の打ち合わせのときに、友達のお母さんであることが判明(;´・ω・)

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唐突な再会でしたが、「あなた会いたかった!」なんて言われればうれしくなっちゃう。早速、お話を
聞かせていただきました。

どうやら、このコンペに参加し勝ち抜きことで高寺町の農園を利用した、地域おこし事業の足掛かりにしたい。具体的内容は、縄文野菜ブランドをうたった農地を利用し、農家レストランや農業人の育成やインバウンドでこられた外国人向けの体験型農園などをやりたいとのこと。

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この話の中ででてきたキーワード、「火焔土器の里」「縄文野菜」???

火焔土器といえば、文化庁が4月25日、日本遺産に「信濃川流域の火焔型土器と雪国文化」を認定したというNEWSが記憶に新しい。

さらに、これより、半年ほど前。ギャラリーカフェ沙蔵のオーナーで現代画家の松本泰典さんと「信濃川文化圏」について語り合っていたのを思い出した。

しかし、より具体的に頭によぎったのは3つの疑問。
  • 縄文時代の野菜を栽培しているのですか?
  • 火焔土器の里といっても、馬高遺跡のところの話ではないですよね?
  • 人口減の時代、生産人口の低下とともに野菜の消費も減る中、ニーズがあるの?
そこで、この辺をお姉さまにお聞きした。

写真は代表の吉田さん。

縄文時代の野菜を栽培しているのですか?


確かに新潟県は非常に多くの縄文遺跡群が点在する貴重な地域です。人口が少なかったといえ、川や山などからの採食だけで循環社会を長期にわたって形成していた縄文の知恵や地域特性は、信濃川文化圏の重要な地域資産です。とはいえ、採食中心の時代に食べられていた天然種の野菜なんて、現在に栽培しても消費者のニーズにこたえられるようなものとは思えません。

その辺をお姉さまにお聞きすると
「違う違う!縄文時代の野菜なんて、どんぐりとか栗とかよ。」と真っ向から否定。よくよく聞いてみると、縄文人が住んでいた地域で栽培した野菜だから「縄文野菜」というネーミングにしたとのこと。

きっと、この一文を読んだ人の多くが、なんか違和感を感じたはず。なんか違うんじゃない?って。そこで、私は発想を少し変えて、縄文人と共有している「土」が同じなのだから、「縄文野菜」といブランド名でいいということに頭を切り替えた。

歴史に詳しい人こそ、あ~だ、こ~だ、いう人がいるかもしれない。迷うことなく縄文野菜ブランドで勝負しようと思った姉さんたちの思いっきりを支持したい。

火焔土器の里といっても、馬高遺跡のところの話ではないですよね?


この話の舞台は、長岡市関原地区の奥の高寺地域のお話し。世界で唯一「火焔土器(馬高遺跡で見つかった火焔型土器のみ正式に火炎土器と言われる)」の見つかった馬高遺跡から500mくらいの小さな集落の話。近いといっても、そこに縄文人が住んでいたというのは、少しこじつけ過ぎていませんか?

その辺をお姉さまにお聞きすると
「馬鹿ね!移動手段は足しかない時代。500mなんて生活圏でしょ。高寺だって、掘れば何かしらでてくるでしょうけど、まだ掘っていないだけよ」とのこと。

脱帽。

人口減の時代、生産人口の低下とともに野菜の消費も減る中、ニーズがあるの?


お姉さまにいわく!
「農業なんてお金にならないの。作って売ったっても二束三文。人口が減るってことは、野菜の健康を無視して、無理やり収量を増やすような栽培をしなくてもいい!ってことじゃない。

つまり、人口減少は大量生産でコストを下げた大量消費時代の終焉がきたのよ。プラント栽培の技術が確立され、駅前野菜ファクトリーで良質なノンケミカル野菜が栽培できるようになるのも、すぐ目の前の話だろうけど、広大な耕作放棄地域と消滅集落が日々増え続けている現実でしょ。

人工知能やロボットが人の仕事を代わりにするような時代が目の前に来たのなら、尚のこと人は大地で採れる収穫物への原点回帰が起こると思わない?

それに。信濃川文化圏を中心に発展した新潟の縄文文化は、世界の4大文明に匹敵する遺産でしょ。どんな形であってもこの資源を有効活用し、未来につなげることがこの地域に住んでいた縄文人を先祖に持つ私たちの使命よ。

そう思わない!小川さん」

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私の感じた3つの疑問なんて、オオカミにお尻をパクっとかじられたような勢いで一刀両断にされてしまった(フッと、友達の顔を思い出して、紛れまなくこのお母さんの血筋だと納得(;´・ω・)

お話をいただいた段階で、コンペの日時もきまっており、すでに参考書類を提出済みの状態でした。私がいただいた時間は10日ほど。歯茎が病んで七転八倒していた日々と丸かぶり。でも、部屋でもがき苦しみながらも、松本さんと話していた信濃川文化圏に思いを走らせることのできた楽しい日々でした。

信濃川文化圏とは?といった話は、また別の機会にいたします。

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プレゼン資料はどうなった?


すでに納品済です。最終的な修正は、まちキャンをお借りしてプレゼンのシミレーションを繰り返しながら彼女と協議しつつ完成させました。

今回、重視した点。

  • 居酒屋からお客様に新たな価値観と新潟の魅力を伝える。
  • 新潟で観光資源として可能性を秘める資源の活用の提案。
  • 世界向けて、新潟の魅力を発信しようとするパートナーを探している。
この3点をA3カラー両面1枚にストーリーだてて集約しました。

この資料の作成において、
孫の面倒がみなくちゃ!といいながら何度も足を運んでくれたクライアントの五十嵐さん。
新潟を作り上げてきた「水」「土」というキーワードを私に教えてくれた沙蔵の松本さん。
1枚で資料をまとめるとう方法を惜しみもなく教えてくれた小出さん。

なんとか、良い結果につながってくれれば良いと思っています。



ITNAのサポート


  • プレゼン資料の作成
  • ストーリーのコーディネート










自営業@ねこまんま:ニナ市でUVチェック機能付きアクセサリーワークショップでてんてこ舞い

新作のイヤリングを付けてモデルになってもらいました。

Social Business News No.002

ITNAがサポートしているソーシャルビジネスのニュースを掲載しています。

自営業@ねこまんま


ニナ市でUVチェック機能付きアクセサリーワークショップでてんてこ舞い

ねこまんまの社長はちょっと肥り気味の真っ白な雑種ネコ@にゃぴ。副社長は黒白まばらなちょっと臆病な雑種ネコ@まこっちゃん。ねこまんまは秘書の飼い主Meguによって運営されているソーシャルビジネスカンパニーです。

ねこまんまが、どうしてソーシャルビジネスカンパニーになったのか?を軽く。
離職のリスクを考えると複数の仕事を掛け持ちしたほうがいいかもねぇ!という話から始まるストーリーです。

  • まだまだ低い新潟県の障がい者賃金
  • なかなか、進まない就労継続支援A型へのステップアップフォローと障がい者雇用
  • 女性の輝きを保つための紫外線対策
  • 女性が輝ける仕事作り
  • 小動物のための防災基金設立
  • 緊急時小動物支援ネットワークの確立

など、最初は小さく小さくを目標にスタートした「ねこまんま」。動けば動いた分だけ、社会のいろいろな問題に直面。いつの間にやらすべてつながり始めた結果オーライ型のソーシャルビジネスカンパニーが「ねこまんま」です。

母性本能の塊&過剰過ぎる猫愛にあふれたMegちゃん率いる「ねこまんま」。制作協力、委託販売先を強力に募集中です。

制作協力、委託販売ともに売値の20%を謝礼としてお支払いさせていただいています。


話は戻って、ニナ市の話。。


2016年5月28日に開催された花いっぱいフェアの中の、多世代交流館ニナニーナのニナ市に「ねこまんま」も混ぜて出店させていただきました。

この日は、アクセサリーつくりのワークショップがメイン。「ねこまんま」は、これまでに1度だけ新潟のフリーマートに出店した経験があります。しかし、場所が変われば全然違うという当たり前のことを心の底まで思い知らさえるような結果が待っていました。

最初から最後までこんな感じ。

この日のMegu先生。気合いがスイッチが入ってしまったらしく、ちょっとばかり難しいタイプのアクセサリーをお姫様たちに教えていたのです。

それが、パニックを呼び、こんなに混む予定じゃなかった!と思わず、漏らしてしまっていたのが印象的でした。

はっきり言って、私たち自身の準備不足がパニックと混乱を増長させてしまった。というのが現実です。

オープン前から長蛇の列。
慌てて、予約管理表をつくり、お昼頃に予約管理がスムーズに機能するようになりました。それでも、ずっと中腰のMeguちゃんは辛そう。

お気に入りのの猫バックと、自分で作ったアクセサリーを私にみせてくれました。

そんなパニックも、終わってしまえばよい思い出。
終了時間が近づいた16時ころ。未だ途絶えない希望者の波。

最後は、再びのどこかの会場で再会しましょう!とお姫様たちと声を掛け合って無事に終了。

多くの失敗もありました。
準備不足は否めません。

それでも、多くの収穫もありました。

次の「ねこまんま」出動は与板のキャンドルナイト@与板 青空マーケットです。今回の失敗を糧に素敵な「ねこまんま」を皆さんにお見せできるように失敗の検証中です。

ねこまんまのUVチェッカー機能付き猫アクセサリーのPOP完成しました。



UVチェッカー機能付き猫アクセサリーとは

ねこまんまのアクセサリーは、紫外線で色が変わるのです。しかも、紫外線の強さによって変わるので、外に出たときのアクセサリーの様子で、紫外線量がすぐにわかるのです。

曇りの日の変化です。晴天だともう少しはっきりした色になります。
ブレスレットタイプもありますが、普段つけるには少々子どもっぽいのも事実。そこで、ストラップタイプのものをカバンなどにつけることをお勧めしています。



お問合せは「ねこまんま」湯本恩さんまで
メールアドレス salapenguin@gmail.com 



ITNAのサポート


  • 活動の記録(写真・動画)
  • マーケティングコンサル
  • Web回りの作成
  • 売上管理システムの構築
  • 会計回りのフィンテック活用支援
  • POP等の作成
  • 委託販売先への営業

※ 写真は、本人と親御さんの許可の元掲載させていただいています。









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