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女を迷わす毒霧


学生時代の友達の話。暑いのに、面倒臭い話は勘弁してほしいですw。

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美人は3日で飽きる。という言葉があります。きっと、事実でしょう。

最近、妊娠した身近な友達なのですが、スタイルもよく、性格もよく、センスもよく、美人の部類に間違いなく入る女性です。しかし、知り合った直後は苦手でした。基本的に人見知りな私ですが、「この人可愛いなぁ」と思う女性に対して意味の分からない嫉妬心から、本能的に苦手だと思っちゃうのです。

しかし、美人は3日で飽きる!というより、慣れます。今では、彼女と出会えたことを感謝しています。

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学生時代の友達。彼女も割合と美人です。私の捻くれた美人基準に例えるのなら、「3ヶ月に1度くらいの割合で合うのがちょうどいいタイプ」です。つまり、毎日会っていると、その美人さも慣れてしまうタイプ。

ちなみに、毎日あっても「この人は、綺麗だw!とか、可愛いw!」と思う人もいます。そういう人は本能的に苦手!と思っちゃうのです。特に同世代だと。

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この話は、

「3ヶ月に1度程度会うと可愛いと思える女に起こった、ラブロマンスの結末。毎日会っていた結果、3ヶ月でお一人様に復帰!」といった内容です。

全く興味が無いので、出会ったきっかけや別れた理由などは、割愛します。なぜなら、彼女から聞いていたのかもしれませんが、興味が無いので覚えていないからです。

自分の恋愛すら興味が無いのに、他人の恋愛に興味があるわけないです。それでも、私にだって好きな人はいます。年1回会えばいいほうですけどねぇ(笑)

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話は戻って、ラブロマンスですから相手がいました。私も2度ほどお会いしたことがあります。

身長も高く、気の利く割合とイケメンな好青年なイメージの人です。この話題の中心は、割合とイケメンに見える好青年なイメージに女はなぜ勘違いをするのだろう!といった、中島みゆきさんに詩を提供したくなるような内容です。

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人それぞれですよ。
それが、絶対条件な話です。

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女に限ることではない。ただ、女性の方が勘違いしやすいかもしれない。なぜなら、男性の本質は対立であり、戦って勝つことで安全な場所を確保するものである。対して、女性の本質は共感・共存の中で、安全な場所を確保するものである。

故に、女が3人揃えば必ず潜在的なトラブルが起こる。女性社会における共感・共存とは意見の対立が起こり辛い状況を選択するための妥協でしかないのだ。特に、同世代や妥協の末に共存関係が出来上がったところに、新たな女性が入り込むという図式は極めて困難である。

もっとも、身近なところでは「嫁と姑」の関係だろう。ハッキリ言って、女性が女性である以上、避けられない問題といえる。

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男女に限らず、人の本質なんて第一印象では測れないのではないだろうか?
そもそも、人と人は分かり合えるものなのだろうか?




幻の糸に踊る狩人




このブログを書いている今日現在。私はFacebook長岡市グループの管理人である。このブログを書いている今、登録数@2587人。定期的に情報を確認していると思われるアクティブなメンバー数@600人。情報を掲載したことがあるメンバー数@237人。

日本におけるFacebookの普及率 17%
アクティブなFacebookユーザー  57%

単純に長岡市の人口で計算すると
長岡市におけるFacebookユーザー 47600人
アクティブなFacebookユーザー   27000人

長岡市において、日常的にFacebookを使っているかもしれない人は、約1割。

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Facebookだけを見ていると、勘違いをする。

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Facebookは、リアルな人間関係をインターネットを使って補完するものである。

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Facebookの繋がりは、日常における僅か1割程度の繋がりである。

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こんなデータが有る。「Facebook普及率の高い県は幸福度が低い」というものである。

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私は、このようにFacebookを感じている。


  1. 人の繋がりを希薄にするもの。
  2. 心の疲労を植え付けるもの。
  3. 閉鎖空間だということを忘れる.
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ハッキリ言って、私はFacebookが嫌いだ。
必要としない情報の波で漂う憂鬱感を強く感じるから。

私がFacebookに限らず、SNSを正しく使いこなせるようになることなど、今もこれからも絶対に来ないと自覚している。





95%の生活難民予備軍



ながおか史遊会の湯本くん(30歳)とガスト川崎店で毒舌お茶会。「同世代の若者(30歳が若者かどうかは疑問だが)は、自分の生活がいっぱいいっぱいで政治に目を向けてられない。選挙について話をしても、全く興味を示さないばかりか、選挙に行く意志もない。面倒くさいの一言で片付けられる。」と訴えてきた。

湯本くんと私は、11月の長岡市長選挙に挑む藤井盛光の応援隊。そんな背景の中の話だった。選挙権は、そもそも義務ではなく権利はず。選挙に行かないと選択は、日本国民である権利を放棄しているのと等しい。

そんな話から始まった毒舌お茶会。互いに、言いたいことが溜まっていた中、話題は転がり別の話題に。

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2週間ほど前の話。身近な仲間が妊娠した。妊娠初期ということもあり、共に働いていた職場を長期離脱するといったことになった。少子化が叫ばれて中、妊娠適齢期を迎える私の身近な友達にはあまりご縁がなかった話題。イメージはしていたが、妊娠を理由に職場を急に離れるいう現実に、思うところがあった。

たまたま、見ていたWebニュースに「あなたはどれ? 職場の女性に「2・6・2の法則」」という記事があった。ビジネスの中でたまに聞く話。決して珍しい視点でもない。それを職場における女性の働き方にあてはめているだけのこと。

この2つのことから。現代社会における「女性と仕事」の関係性には、無理があるのではないだろうかと感じた。現代社会における女性の働き方とは、男性社会の仕事のルールに女性を当ているだけである。

男性には男性の働き方やリズムがある。女性には女性の働き方やリズムがある。互いに持ち味と住み分けが成り立ってこそ、男女平等なのではないだろうか。

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「2・6・2の法則」とは男女に関係なく

2割のチャレンジャー
6割の寄りかかり組
2割の無関心組

という内容。

この割合は、急速に歪な数になりつつあるような気がする。つまり、「1:8:1」といった感じだぁ。変化求めず、流れの中で自己の意見を持たない人が多くなってきた気がする。価値観の変化は時代の必然。悲観するような内容じゃない。しかし、この価値観の変化がもたらす経済の影響は無視できない。

社会における消費者の主軸は、子育て世代である。この「子育て世代が減る=税収が減る」といってもいいだろう。価値観の変化、無理のある生活、不安定な仕事。男女に限らず様々な要素が絡み合い少子化は加速し続ける。

さらに、積極的な消費をしないライフスタイルが、新たな革新的な活動を受け入れ辛くするかもしれない。同時に、市場の拡大は鈍化し、貧富の格差は想像を遥かに超えるものになるかもしれない。

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今年の初夏のこと。長岡の市民発信による本が話題になった。


地方創生という言葉が飛び交うなか、少子化という呪縛を背負った現在日本はすでに「消滅の危機」である。この本は、社会を牽引してきたイノベーターによる35年後に向けた知の集結である。

言い換えるのなら、今年生まれた子どもたちが社会の中核で活躍する年齢になる頃。地域経済は崩壊し、地域に生き続けることすら困難な状況になっているかもしれない。そんな未来しないために、現在に生きる長岡人の知を集結したというのがこの本の本質なのである。

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話は、長岡市長選に戻る。権利といっても選挙に行くことは、強制ではない。国勢選挙や県の区長選を軽視するわけではないが、市長選とは4年1度。身近な環境が、未来につながる環境にあるのかどうかを選択する場である。

つまり、森民夫市長が頑張ってきた16年の実績を振り返ったとき、彼が再選することが未来に生きる子どもたちに消滅しない街を残してあげれるかどうかという判断なのである。

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これまでの統計から、少子化、人口削減に何かしらの速攻政策を行わなければ、地域は消滅する。消滅するということは、一握りの富を得る人と、生きることすらままならない人との二極化が進み、この地域で生きることが難しくなるということである。

選挙がどのような結果になるか判らない。しかし、選挙に参加しないということは、「生きることすらままならない未来」を自分自身で選択するということである。

仮に格差が、富を得る(普通に生活できる人)人の全体の5%。生きることすらままならない人が残りの95%という未来が訪れたとしたら、選挙を辞退する人は95%の生活難民予備軍である。なぜなら、未来を変化させるかもしれない選挙という選択を拒否したのだから当然である。

11月の市長選の候補者が、何人になろうとも、自分の目や耳で判断し、未来に向けた一票を投じることこが未来に生きる世代に向けた現代日本人の責務である。

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藤井盛光が森市長に挑戦するときいたとき、アホか?と思った。空を飛ぶUFOに水鉄砲で戦うようなものだと比喩したのを覚えている。

このような意見は高齢な方ほど、同意見のようだ。よく聞かれる意見に、「1度では勝てないかもしれないが、2回3回チャレンジし続ければチャンスはある!」と言われる。

高齢な方々は、呑気でいい加減なものだ。仮に3回目の選挙で勝てたとしよう。それは、今から12年後の話しである。

「消滅するかもしれない」現在から12年後。何か大きな変化があったとしても、消滅しない未来につながるとは思えない。現役を退いた方々のこのような意見を聞くたびに、未来に対する無責任さが現在日本を形作った最大の要因なのではないかと思う。

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私の人生のミッションは、「100年後の未来に生きる人が、今より少しでも笑顔で前向に生きることのできるように今できる志事を精一杯行う」である。私が市長選に関わるというとは、結果以上に未来に生きる世代に対する責任だと自覚しているからである。





歩 Let it be


このブログは、私自身のための記録。

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どこかで読んだような話。私の言葉ではない。
「政治家は100年後の未来のために、志事をするものだ。」

極端な言葉で、賛否の意見もあると思う。でも、私も政治家とはそういう存在であってほしいと思う。

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中学浪人時代を過ごした1990年。湾岸戦争の年。リアルタイムに感じたテレビの中の戦争。この頃の夢は、国連の事務総長だった。

たまの「さよなら人類」の歌詞にこめられた思いについて、こっそりビールを飲みながら、中学浪人を共に過ごした友達と語り合ったのを覚えている。

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100年後の未来のために今をどのように歩くかを考えながら、ありのままに進めればいい。

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